第2回 一緒に食べることの意味(前編)

参加者

  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
  • 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
  • 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

食を通して子どもの心身は育まれる

内田-

「食は生き方の基本であり、どう生きていくか、また、私たちがどう生かされているかを子どもたちと共に考える教材にもなる」と、竹井先生はかねてより強調されています。食は1日に3回はある日常の行為ですが、教育現場で食を学ぶことの大切さに気付いたきっかけはどのような体験からでしたか。

竹井-

食育基本法が制定される以前の、私が小学校教諭になりたての頃でした。受け持っていたのは20人学級で結構仲がいいクラスでした。それまで給食の時間は4~5人ほどのグループ単位で食べていたのですが、ある日、子どもたちが「先生、給食はみんなの顔が見えるように円になって食べたい」と言い出したのです。どういう型で給食の時間を過ごすかの決まりはありませんから、その意見をさっそく採り入れ、翌日からほぼ1年間続けました。顔と顔、私も含めて全員の顔が見えるわけですから、隣だけではなく、対面の人とも食事をしながら会話が弾むわけです。すると、学級としての高まりはもちろんですが、子どもたちの心の伸びや一人ひとりの繋がりがそれまでの普通の学級より大きいことに気付いたのです。
その時の経験、つまりは子どもたちが互いに目を見ながらそして笑いながら食を共にする。そこに計り知れないパワーがあることを発見したわけです。時間と空間を共にすることはすごいことだと実感し、それ以降、実は当たり前のことですが、「食を通して子どもたちは心身ともに育つ」を信念にして給食の時間を大切にしています。
食を通した学びの大切さに気付いたもう一つは「おにぎり」ですが、それは別の回でお話ししましょう。

内田-

食育基本法などでは、学校における給食は、家庭の食育を支える重要な役割を担うと位置づけています。教育現場から見て、家庭における食はどのように映っていますか。
1980年代には子どもの「孤食」が話題になり、最近では家族の「バラバラ食」や、スナック菓子やカップ麺などで空腹を満たす乱れた食生活の結果による、子どもたちの生活習慣病が問題になっています。専門家は「日本の食は崩壊している」とも指摘していますね。

竹井-

私たちが家庭の食事を知る機会はお弁当ですが、知り合いの先生は昨今のお弁当のメニューの大半を冷凍食品が占めていることから、「おふくろの味ではなく“袋の味”ばかり」と危機感を募らせています。忙しいので便利な冷凍食品に頼らざるを得ないのでしょうが、私たちの親世代はそれほど裕福ではなく、便利な世の中ではなかったものの、その中で工夫しながら彩や栄養バランスも考えながらお弁当を作っていた記憶があります。時代なのでしょうが、揚げ物が主流の冷凍食品では、お弁当に込められた親の思いに子どもが想像力を働かせることは難しいかもしれませんね。
子どもたちは手作りであろうがなかろうが、親には何も言いません。しかし、本当にこれでいいのか?と思わせるお弁当もありました。蓋を開けると冷凍ハンバーグだけがドカ~ンと鎮座し、その下がご飯でそれ以外は一切なし。同じように冷凍のから揚げとご飯だけというのもありました。彩や栄養は一切お構いなしです。 そこで、その子どもに「朝ごはん何を食べてきた」と聞くと、卵かけご飯とマヨネーズ、夜はカップラーメンとコーラでした。
「お弁当の日」に、親御さんを念頭におきつつ子どもたちにお弁当の持つ意味を伝えるようにしていますが、どこまで家庭に通じているかはわからないところです。

※2001年、香川県の小学校で竹下和男校長(当時)が始めた「弁当の日」。子どもがメニューを決め、買い出しから調理、後片付けまで子どもがします。自分でお弁当を作って学校に持ってくるという取り組みです。これを通して子どもたちは感謝の心を知り、生きる力を身に付けていきます。一方、先生や親は一切口出ししない決まりのため大人たちは見守る大切さを知ります。「弁当の日」は全国に広がり、2016年12月現在、実施校は全国で1800校を超えています。

次回「一緒に食べることの意味(後編)」へ続きます。