第3回 一緒に食べることの意味(後編)

参加者

  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
  • 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
  • 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

顔と顔が見える関係で培われる連帯感

内田-

家庭で朝は卵かけご飯にマヨネーズ、夜はカップラーメンにコーラという食事。それは餌でしかないし、家族が食卓を囲む風景もイメージできませんね。

竹井-

心配なのは、家族で食卓を囲むことも含めて、そういう食では身体ばかりではなく心も育めないのではないかと思えることです。経験的に、食が乱れると言葉も乱れてきます。すぐ「殺せ」とか「死ねばいい」というように言葉が極めて短略的になる。食と言葉が繋がっているように見たくはないけれど繋がって見えてしまうのです。家庭の食が崩壊している証左かもしれませんが、そうした食―きちんと食事をさせないことはネグレクトと言うべきかもしれません。児童虐待の定義は身体的、性的、心理的、ネグレクトに4分類され、ネグレクトには「食事を与えない」が入っていますが、「きちんとした食事をさせない」にまで判断を下げてほしいぐらいです。
食は生きる基本であるにもかかわらずネグレクトされている。そういう環境にある子どもたちはかなりいるのではないでしょうか。そこを担任は丁寧に見なければならないし、問題があれば「これも食育の一環である」と自信を持って家庭に知らせることも必要です。しかし、家庭からすれば「何を食べさせようと家庭の勝手」となってしまう。また、プライバシーの侵害とも受け取られかねないので、担任はその一歩が踏み出せない。さらに言えば、若い先生たちは自らが“袋の味”で育ったためか、チ~ンだけのお弁当の何が問題なのかがわからないのではないか、また、前回お話しした「子どもたち全員の顔が見える給食スタイル」が持つ意味にも思いが及ばないのではないか、と危惧しています。

西秋-

竹井さんが指摘するように、給食は短い時間とはいえ時間と空間を共にするわけですから、私たちも含めてお互いの顔が見えるスタイルは連帯感を培うことにも繋がってきます。私が勤める学校では、そのことを大切するためにみんなが向かい合って食事するスタイルにしています。もちろん、ワイワイガヤガヤとうるさくすることは戒めていますが、「このご飯おいしいね」といった他愛のない会話でも、子ども同士や、私たちと子どもたちのコミュニュケーションを高めるうえでも大切な手段になります。子どもたちも「先生、これ苦手なんだけど」と言ってくることもあって私たちがその子を知ることにも繋がるし、「この時期はこれが美味しいね」と、問わず語りに食材の旬を学ぶきっかけにもなりますからね。

菅谷-

家庭でも給食でも、近づいて一緒に食べることで気付くことは沢山あります。特別支援学校でも、給食は対面ではなく、先生から子どもたちが見えやすいように机を配置しているところもあります。その理由は「子どもたちの足の位置が見えやすく、行儀が悪いことを注意できる」ということでした。もちろんそれも教育の一環でしょうが、私たちから見ると「エッ」という印象です。給食でも顔を近づけながら食事をすることでみんなが学び合い、話し合える食卓であってほしい―そう願っているので、私が勤める特別支援学校では、子どもたちの良いところが見えるような環境設定をしているのです。

内田-

先生たちが一緒に食べることの意味になかなか思いが及ばないのは、報道があったように「そこまで余裕がない」からではないでしょうか。

藤原-

給食は生きた教材が目の前にあり、文部科学省もその利活用をプッシュしていますが現場は食べさせるだけで精一杯。ノートの確認や連絡帳の書き込みなどに時間が費やされ、給食指導に充てる時間は少ないばかりか、見ていると、自分は3~4分で給食を済ませているケースがしばしばです。

竹井-

食の大切さに気付いた、みんなが円になった一緒の給食では、ノートの確認に費やす時間はありませんでした。確かに先生も忙しいけれどそこは意志と工夫でしょう。40人学級だと子どもたちが食べている時間は15分程度。そこで試にゆっくりと食べられる時間をとったところ、給食残渣は出ませんでした。その時の食後のふんわ~かした時間が何とも言えなかったですね。
食は人の素が出る場面。そこで子どもたちのもう一つの顔が見つかるはずです。

※公立小中学校の教員の勤務時間が10年前と比べて増えたことが2017年4月、文部科学省の調査で分かりました。授業の増加が主な理由とみられ、教諭の場合は1日あたり30~40分増えて11時間以上働いており、教育現場が深刻な長時間労働に支えられている実態が明らかになりました。

【総括】(竹井塾長)

竹井 秀文

月のはじめに配られる献立表を楽しみにしていたことを覚えている。「何曜日は、〇〇だ。やったね。」と友達と会話したことさえ覚えている。給食は、子どもにとって、楽しい時間のひとつ。そんな楽しい時間をもっと楽しい時間にする工夫をしたいものである。

それは、給食時間という短い時間を「楽しく生きる」時間にすることができるからである。食べることは、生きること。それを楽しめる時間を、空間をみんなでつくりだしたいものである。

笑顔でおいしか食事ばとりんしゃい!! よか人生、つくりだすけんね。

竹井塾 塾長 竹井 秀文