第4回 食は家庭と学校の架け橋(パート1)

参加者

  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
  • 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
  • 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

家庭の食が垣間見える

内田-

竹井先生が、家庭における食について、「朝は卵かけご飯にマヨネーズ、夜はカップラーメンにコーラ」と、子どもから聞いたという話をされました。給食の時間は家庭の食が垣間見える時でもありますね。

西秋-

バランスよく食べる大切さが疎かになっている結果、運動テストの成績の低下や子どものメタボリックシンドロームに生活習慣病など、かつては考えられないような事態が起きて看過できなくなり、食育基本法となったのでしょう。

菅谷-

給食は家庭における食がすべて表れるといってもいいかもしれません。ある特別支援学校でこんな光景に出くわして驚いたことがあります。そこは給食時間に調味料のトッピングコーナーを設けてあったのですが、ある子どもはご飯が真っ黒になるまで醤油をかける。おかずにふりかけをたっぷりかける。またある子どもは、ご飯やおかずより先にまず、デザートのスイカから食べ始める、それもマヨネーズをたっぷりかけてね。先生に聞くと、「普通の光景です。何かをかけなければ食べられない」というのです。スイカやマヨネーズが好きかもしれません。そして、家庭でそうしているからかもしれませんが、デザートは口直しのために最後、という食事のマナーを教え、そして覚えることも必要でしょう。私はすごくもったいないと痛感しました。調理員の皆さんは、このメニューを食べてもらいたいと思っているのに、味が完全に変わってしまうわけですからね。
こういう食事を家庭と学校で続けていると、この先に待っているのは小児成人病です。実際、身体を作る大事な時期に食のリズムとバランスを崩し、親子で入院生活を余儀なくされた知り合いがいました。ですから、入学を希望されるお母さんたちには、「学校では一粒も残さずに食べる」「苦手なものも食べられるようになる」、そして、それを実現させることができるのは家庭と学校の協働の力、と給食指導の在り方を説明しています。

藤原-

皆さんのように直接、家庭の食を知る機会はありませんが、給食で「黒いおひげ事件」というのを経験したことがあります。もう、15年以上も前のことですが、子どもがひじきの煮物を指して担任に、「この黒いおひげはナ~ニ」と聞いてきたので、その先生は「それはひじきと言って海藻の一種だよ」と教えたという話です。若いママたちは恐らく作らない献立なのでしょうね。もし、給食で出会わなければその子どもはひじきと対面することはなかっただろうし、大人になるまで知らずにいたかもしれないと想像できます。ただ、私はそれを悲観的には捉えませんでした。というのも、給食は「知らないものを知る」という絶好の場にもなると思い至ったからです。
当時はまだ、栄養教諭制度が確立していないため、職種は学校栄養職員で「子どもに教える」という立ち位置でした。具体的には食品の栄養について教えるというように、です。でも、「黒いおひげ事件」以降はそれだけではなく、食の楽しさや、食に興味を持ってもらうこともできる仕事なのだと気付きました。ひじきにしても世界中で食材として利用している国はそうないでしょう。そういうことも含めて、給食をきっかけに食に興味がわき、それが学びや気付き、そして何かを感じることにつながっていくはずだと思っています。それだけ広い観点とテーマを持っているのが食なのです。

菅谷-

藤原さんが“黒いおひげ”を経験したほぼ同時期、45人学級の4年生のうち半数が、丸のままのカボチャを知らないという経験をしました。通常学校の調理実習の時間です。子どもたちの最初の反応は「それ、何」っていうもの。気付いたのは半分に割ってからでした。ひょっとすると、シンデレラの話も知らないのかな…?と複雑でしたね。家庭で素材から調理していれば、子どもたちも自ずと分かるはずだと思うのですが、いまやカット野菜が全盛です。そのうち人参もジャガイモも玉ねぎも、その形すら分からなくなるのではないかと、危機感すら抱えています。

竹井-

食の基本はあくまでも学校ではなく家庭ですよね。それでも食は、家庭教育にも繋がる、あるいは繋げることもできると実感したことがあります。それがバケツによる稲作りです。子どもたちは自然とのかかわりなどを学び、私は学級全体や学校と家庭とのかかわり方を知り、そして学ぶ機会になりました。それが、菅谷さんが言われた協働の力ということなのかもしれません。詳しくは、次回にお話しします。