第9回 給食は社会の窓口(パート2)
参加者
- 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
- 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
- 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
- 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
- 内田 正幸(食品ジャーナリスト)
残さずに食べることから広がる食の世界
私たち世代の学校給食といえばパンとマーガリンにおかず、それに脱脂粉乳が基本パターンでした。脱脂粉乳が苦手でしたが、鼻をつまんで飲み干し、給食を残した記憶はありません。
内田さんが小学生だった昭和30年代は、子どもたちは皆、お腹を空かしていたので、残さずに食べるということが当たり前でしたよね。その後、飽食の時代などを経て現在に至りますが、これまでの経験から、給食をどれほど大事にしているかは学級経営そのものであり、そのクラス全体を表していると思っています。具体的に言うと、荒れたクラスは給食が荒れている、これが共通点でした。
給食は食中だけではありません。熱いものや先の尖った食器類を扱うなど、準備段階や後始末には危険を伴います。その時間も含めて丁寧に指導しなければ、落ち着いて食べることができないと先輩から聞かされていました。いまも食中だけではなく、前と後の指導も大事にしています。
給食では「いただきます」と「ご馳走さま」と言うにもかかわらず、結構、残っています。藤原さんは栄養教諭として腹立たしくなることはありませんか。
頑張って食べているとは思いますが、遊んでいるのではないかと疑いたくなることもありますね。
経験的に、残っていない学級はまとまっていることと、子どもたちが心身ともに成長を遂げているような印象を受けます。
私たちはクラスをつぶさに見る機会がないのでわかりませんが、竹井さん、菅谷さんと同じように経験的にですが、荒れているクラスは食べ方がよくないという傾向が見受けられます。一方、給食をほとんど残さない子どもたちは、風邪をひいて休んでもすぐ復活してくる。家庭でも学校でもきちんと食べていることの表れかもしれません。好き嫌いで食事をするのではなく、「これは食べなければいけない」、「残してはいけない」と身についているのでしょうね。
食はパーソナリティーを作ると思っています。苦手なモノを食べることで、「がんばろう」という意欲がわいてきます。だから私は、残さずになんでも食べるという教育を学校だけではなく、3人の子育てでも実践してきました。そのおかげで3人とも元気に育ち、小学校から高校まで欠席が一日もありませんでした。自慢できることは、好き嫌いなく食べたことで身体も心も丈夫に育ったことです。
身体だけなら、家畜のようにカロリーの高いものを与えていればいいのでしょうが、人間はそういう存在ではありませんよね。食は心も育くむわけですから、給食を含めて、学び教えられる世界は限りなく広がります。
私たちは“食べる人”ですが、例えば第一次産業の“作る人”たちが、日本では減少の一途をたどっている食のもう一つの現実も知り、学びたいところです。
生産者まで思いを馳せることは難しいかもしれません。ただ、栄養教諭の先生や給食を作る人、また、後片付けをする人たちに感謝の気持ちを伝えようね、それを示すのは「きれいに残さずに食べること」と、教えています。
食育基本法で学校は家庭を支える立場として位置づけられています。学校における食育はあくまでも家庭を補完するしかありませんが、それでも気を付けなければならないことがあります。それは給食の時間はくつろぎの場であると同時に指導の場でもあるということです。そこで担任が何もせずにいるのは実にもったいないこと。給食を残すことをテーマにして、高学年なら飢餓に苦しむ人たちが世界で8億人※とか。低学年なら、食材がどこから輸入されているかなど、専門的には話せなくても、子どもたちの食への意識を高めることはできるはずです。
※国連が2015年5月に発表した飢餓に関する年次報告書によると、現在の栄養不足人口(飢餓人口)は7億9500万人。報告書は「世界の大半で栄養状態が改善している」とする一方、異常気象や自然災害、政情不安などが原因で後れを取っている地域もあると指摘しています。アフリカでは現在、24カ国が食料危機に瀕し、サハラ以南のアフリカでは現在、約4人に1人が栄養不足に苦しんでおり、過去最高の栄養不足人口率となっています。南アジアは、依然としてもっとも飢餓に苦しんでいる地域で、栄養不足人口は2億8100万人に上っています。