第18回 学校給食を考える

ジャーナリスト 内田正幸

学校給食と地産地消①

「竹井塾」第17回で、八洲学園大学の渡邊達生教授は学校給食と「地産地消」について述べている。食の基本は家庭にあるとして「お膳立てしすぎない給食」を提案する同教授だが、学校給食否定派ではなく、次の発言は、学校給食における「地産地消」が自給率向上などにとどまらず、子どもの心を育むことにもつながることを強く示唆している。

「食育で、給食の野菜が地域産であることを子どもに知らせているという事例を、テレビのドキュメンタリー番組で見たことがあります。配膳された給食を前にして、そのニンジンは、だれだれさん方でつくってくれたもの。このダイコンはだれだれさん方でつくってくれたもの。というように説明していました。いい光景だと思いました。野菜はスーパーから運ばれてくるという常識から一歩進んで、産地を知ることができています。(中略)それまで、通学途中に見かけていた何気ない野菜畑が、自分の命を支えるものとなっていることに気づいたのです。きっと、以後の通学途中で、それらの畑を見るたびに、そこで育っている野菜の価値を思い起こすことでしょう。また、そのことがきっかけとなって、スーパーへ親の買い物について行ったとき、野菜コーナーで地域産のものを見つけて親子の会話が生まれることもあるでしょう。そのとき、子どもの関心は親を動かし、家庭にも地域産を大切にする雰囲気が生まれるのではないでしょうか。いいことです(後略)」

「地産地消」は1980年代に言われ始めた言葉で、食料自給率の向上や地元産品の消費拡大、さらには、伝統的な食材や料理を見直すことで健康面を含めた生活改善の意味も込められている。「自分の住んでいる地域で作った農畜産物や伝統食を食べる」と同時に、「栄養価の高い旬のものを工夫して食べる」ことなどが指標だ。この考え方は、ファストフードに対抗し、イタリアの田舎町から世界に広がった「スローフード」運動とも共通している。もっとも、日本には「身土不二」という仏教用語があり、また、約12キロ範囲で採れる農産物等を食べていれば病気にならないことを指す、「三里四方の食によれば病知らず」と言い伝えられてきた。「地産地消」は目新しいことではないのである。

付け加えれば、流通が発達していない昔は「三里四方」を余儀なくされていたとはいえ、それを懐古的!と片づけることはできない。というのは、流通が発達した現在、日本(人)は国内外の様々な地域からの食物が容易に手に入るようになり、モノ的には豊かな食生活を送れる反面、食に対する関心が失われつつあるからだ。子どもに限らず大人もその例外ではなく、食品の選択基準の筆頭は地場産や国産ではなく「安さ」。渡邉教授の言葉を借りればその結果、「日本国内の、いわば食の帝国主義と植民地化を生む背景に潜んでいる気がします」(詳細は「竹井塾」第17回参照)となる。

その一方で進行しているのが食のファッション化だ。行列ができるおしゃれな飲食店をメディアはしばしば取り上げるが、そこには、同時進行的に難民キャンプの食料配給に並ぶ人々がいること。さらに、その現実を重ね合わせて“ニッポンの食”を振り返る視点は完全に抜け落ちている。

それはさておき、話を「地産地消」に戻す。

学校給食における地産地消の導入は「食育基本法」制定以前から取組まれていたが、同法の施行によって学校給食の関連法に「地場産物の活用」という文言が盛り込まれたことで、「地理的条件が不利」と言われていた都市部でも実践例がみられるようになってきた。
そのメリットとして挙げられているのは、地域住民や保護者の目もあるため、生産者は生産物に対して安全・品質をより意識するようになること。また、生産者の顔を知ることで、住民の地域への関心が高まるだけではなく、生産者側は一般向けに出荷できない規格外品も提供できるようにもなり、食材の有効活用の場が増える―などだ。

一方で、学校給食に地産地消を取り入れるにはいくつかの問題が立ちふさがる。「竹井塾」の座談会に登場した栄養教諭の藤原涼子さんは、「都市部のように何十万食という単位の学校給食だと安定供給が課題になってくる」という。つまり、都市部では需要が大きくて供給が追いつかず(東京はどうする?)、反対に、農山村地域では供給力が大きすぎるというミスマッチも起きているようなのだ。また、食材調達には既存の取引関係が存在していることや、一食当たり二百数十円という限られた給食費との折り合いもある。

ただ、「学びとしての食」の絶好の機会となる学校給食における「地産地消」の取り組みは、学校関係者のみならず保護者からも期待されているし、国際機関からも評価を得ている。