第27回 そうだったのか竹井塾(パート1)

参加者

  • 斎藤 雄一(仮名:元・公立小学校校長)
  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

2017年6月1日から『竹井塾』を公開し、この半年間で、単なる食育ではない「学びとしての食(学び合いの場としての食)」に対しての反響が少しずつ増えてきました。 そして学校関係者や生産者、元食品メーカー、メディア関係者らと意見交換する場ができたので、そこから賛意などの意見を、「そうだったのか竹井塾」と題して、今後いくつかを紹介します。

学級内孤食について①

内田-

2017年6月から「竹井塾」の連載がスタートしました。食育基本法が施行されても子どもをめぐる食は依然として疎かになっているのではないか。そんな危機感を抱えている現職の小学校の先生たちの声を聞くにつけ、そうした声を組織化して社会運動に結びつけられないかと模索しているところです。
それはさておくとして、斎藤先生には「竹井塾」の連載を読んでいただき、「学級内孤食や特別支援学校の食事マナーに同感いたしました」というメールをいただきました。

斎藤-

“学級内孤食”を挙げたのは、私が担任をしていた時に同じ経験をしたことがあるからです。その理由は、給食は残さずに全部食べられる子どもにしたいという思いと、食缶を空にしたいという思いからでした。食べられる量には個人差があります。そこでルールとして「いただきます」をする前に、給食の量が「多い」と思う子どもは自分の判断で適当な量を食缶に戻し、「もっと食べたい」という子どもには足すようにし、食缶を空にするように工夫して、給食の残菜をゼロにするように心がけていました。ところが、半分程度に減らしても時間内に食べきれない子どもがいたのです。その子どもには給食時間後の昼休みの時間まで教室に残して、私がつきっきりで食べさせようとしたわけです。そのことが果たして、その子どもにとって良かったのかどうか… それを考えさせられたのが“学級内孤食”という言葉でした。

「竹井塾」第10回-給食は社会の窓口-で竹井塾長は以下の発言をしている。

その一方で、一人で居残りをさせてまで食べさせる先生もいます。それを子どものためと思っているのでしょうが、学級内孤食ともいうべきことで人格否定になりかねません。子どもたちは、苦手なモノでも周りの友達が「ガンバレ!」などと励ますと、一口でも食べるようになるものです。それが人との繋がりであり、いじめを防ぐことにも結び付くのです。学級内孤食ではそれを助長するだけです。

給食時間の後には45分の昼休み時間があります。その時間を使ってまで食べさせることもしばしばで、他の子どもは給食の時間内に食べ終わり外で遊んだりしているわけですから、教室にはその子どもだけが一人だけ残されてしまう。私は仕事をしながら、食べ終わるまで見守るということが1年ほど続きました。“早食い”も褒められたことではありませんが、「みんなと同じ程度の時間で食べる」という習慣を身につけさせてあげたいという思いでも接していましたね。
叱りながら食べさせることはおかしいと思いつつも、「食べようね」と叱りながらの時もあったような気がします。また、「それでは大人になってやっていけないよ」と説教じみたことも言いながら食べさせようとしていたように思います。振り返ると、そこまでやる必要があったのかないのか…です。

竹井-

私の小学生時代にも、教室に一人残されて食べさせられていた同級生がいましたが、その姿を見て子どもながらに「苦しんでいるな」と思いましたね。

内田-

苦しむようであれば楽しいはずの給食が苦行になり、逆効果になりかねませんが、残されて食べさせられていた子どもに、変化はあったのでしょうか。

斎藤-

先ほどお話ししたように一年がかりでしたが、初めの頃より食べられるようになりました。その子どものことは、給食時間に「この子は将来どうなるのだろう」と心配のしどうしでしたから、今でも強烈な印象として残っています。

内田-

そこまでやる必要があったのか…と仰いましたが、現在はどう判断されますか。

斎藤-

食が細くても成人になってからの健康問題などを考えれば、時間内にせめて半分程度は食べられる子どもに育てなければならないのではないでしょうか。給食はそのための時間ですし、食育指導の実践的な場でもありますからね。