第36回 食と宗教(信仰)①食前・食後の言葉

ジャーナリスト 内田正幸

「いただきます」と仏教

生きるための基本である食(事)。人類史を営々とつなぎとめてきたと同時に、様々な宗教伝承において神聖な行為としての意味を担ってきた。食物や飲物はまず神などに供え物として捧げられ、それを共同体のメンバーが同じ食物を分かちあい共に飲食する。こうした食事を通して人と神が交わり、人と人も交わってきたのである。

それは、日本の食前の挨拶「いただきます」にも表れている。『語源由来辞典』には、

中世以降、上位の者からもらった物や神仏に供えたものを飲食する際にも頭上に乗せるような動作をし食事をしたことから、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として「いただきます」と言うようになった。

とある。挨拶として広く慣習化されたのは恐らく昭和とされ、古くからの伝統であるかは疑問視され由来も諸説あるが、いまでは定着している。

現在、この言葉には2つの意味が込められていると考えられている。肉や魚だけではなく、野菜や果物にも命があると考え、「○○の命を私の命にさせていただきます」とそれぞれの食材と、食事に携わってくれた人々への感謝の心である。

また、言葉の背景には仏教用語の「凡夫(ぼんぷ)」が隠れているとの捉え方もある。凡夫とは「煩悩にとらわれて迷いから抜け出られない衆生」のこと。人間は迷いや欲を持って生活しているが、これが自他ともに傷つけたりする人間の罪悪の元となる。せめて意識できる目の前の悪に対しては懺悔し、感謝の気持ちをもって生活する。その現れとして、合掌しながら「いただきます」と発し、頭を下げる動作を生み出したというのである。

話は逸れるが、最近、「給食費を払っているから、子どもが『いただきます』という必要はない」と主張する親がいるらしい。とんでもない話だが、この親は恐らく、凡夫そのものなのかもしれない。

ところで、諸外国には「いただきます」とはニュアンスは異なるが、食前の言葉として「Guten Appetit!(ドイツ)」、「Bon appétit(フランス)」、「¡Buen provecho!(スペイン)」など、「良い食事を」を意味する言葉がある。その一方でキリスト教などには食前のお祈りがある。カトリックの神父に聞いたところ、「すべての命の重さは同じというのが我々の根本です。ですから与えられたものに感謝するということは、これは日本の『いただきます』と基本的に同じ」だという。

「食前のお祈りは、『父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン』というもの。最後に『アーメン』と祈るのは、私たちはこの世のすべてのものは神から与えられたものと考えているからです」。

ちなみに食後の祈りは、「父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。あなたのいつくしみを忘れず、すべての人の幸せを祈りながら。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン」となっている。

これも感謝の念と言えるだろうし、感謝に限れば日本の「ご馳走様」と相違はほとんどないのかもしれない。

「馳走」は本来、「走り回ること」「奔走すること」の意。 一度の食事のために奔走してくれたすべての人への感謝の気持ちを表した言葉で、食事だけではなく、他の人のために奔走して功徳を施して救うこと、苦しんでいる人を助けることを表す仏教用語である。

このように宗教(信仰)は食と密接な関係があることが多く、それが文化として受け継がれてきたと言える。次回は宗教色が特に強い「食のタブー」を取り上げたい。