第41回 世界の食と日本【フィリピン②】

参加者

  • 番場 正人(フィリピンミンダナオ島在住・ボランティアで植林活動中)
  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

学校給食と教育

竹井-

日本で食育基本法が制定されてから学校給食への関心が高まっています。また、日本の学校給食への評価が高いという報道もありますが、フィリピンに学校給食はあるのでしょうか。

番場-

私が知る限りでは、私立にはあるかもしれませんが、公立にはないと思います。

竹井-

そうすると弁当持参になりますか。

番場-

そうなりますが、貧しい子どもは持ってこられないでしょう。

内田-

日本では学校で「お弁当の日」を設けている学校が多いのですが、持ってこられない子どもの分まで先生が用意するという話を複数聞きました。これについて、それはやり過ぎで、「他の子どもが、『これ、食べなよ』と分けるという、慮る機会を奪うことにもなりかねない」、それを教えることも教育という捉え方もあります。前回(第40回)の話に出たようにフィリピンでは、貧しくてお腹が空いたのなら誰かが食べさせてあげるということと文脈は同じでしょう。そのことが大切ではないかという考え方です。

番場-

日本の現状では先生が弁当を用意すると、子どもたちの「あの子は弁当を持ってこない」という差別感を助長してしまうかもしれません。
差別ということではないのですが、日本の社会では、どうも他人に対する許容度が下がってきているような気がしてなりません。たとえば、クレームがあったことから、新幹線車内でたこ焼きや豚まんを禁止する、しないというようなケースがありましたね。人間は誰でも、社会生活をしていれば誰かに迷惑をかけているのは当たり前で、それを受け入れることも一つの文化だと思います。保育園や幼稚園も「子どもの声がうるさいから建てるな」と、そんなクレーム社会に変わりつつあるような気がします。
差別も他人に対する許容度の低下も根っこは同じように思えます。「共に生きる、共に生かされている」と言う観点の欠如であり、教育の中で欠落してきた部分かもしれません。もし、子どもたちがそれらを体得していれば、先ほどの「弁当を分かち合う」といったことも自然にできるのかもしれません。

竹井-

現代の日本社会で他に気になることはありますか。

番場-

核家族化が進行していることです。夫婦共稼ぎであれば、食に関して子どもは孤食になる確率は高くなるでしょう。では、女性は仕事を辞めて家庭に戻ることがいいのかというと、社会参加という観点から仕事はした方がいいでしょう。結局、日本社会の在り方や、子どもをそのなかでどう位置づけるかを整理しないと、わりを食うのは子どもです。

内田-

「孤食の何がいけない」という声も耳にしますが、そんな時代背景もあって食育への機運が高まり、食育基本法の成立となるわけです。

番場-

フィリピンに食育はありませんが、日本の給食(食育)については、幼小児教育という観点からすると進んでいると思います。たとえば給食当番です。配膳から自分たちで行うことは、世界的な基準からすると「すごい!」の一言ではないでしょうか。給食を通してマナーも学ぶわけですからね。翻ってフィリピンでは、上流階級では子どもの時から食事マナーなどを教えられますが、下層階級では基本的に教えられることはありません。だから上流階級と下層階級は付き合わないのです。

内田-

日本における学校給食の現状や食育については、これまで学校の先生たちにインタビューしてきましたが、栄養教諭の資質をはじめとして、いまなお課題は多いように思います。

番場さんのご紹介

カトリック女子修道会のCBsistersと一緒に、フィリピンの少数民族であるバジャウ族やマノボ族といった経済的に恵まれない人々の自立活動をサポートしています。
ブログ「フィリピン ダバオ郊外 トリルの海辺で」にて、現地情報を公開中です。フィリピンミンダナオサントル会を通じて、CBsistersに寄付することができます。