第48回 世界の食と日本【ドイツ③】

参加者

  • マンフレッド・マイヤー(外国語講師 日本在住24年)
  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)
  • 飯田 冬実(果物輸入商社勤務)

「竹井塾」版クラインガルテンとは

内田-

マイヤーさんは、日本のお母さんや主婦は、毎日の献立のために頑張っているという話をされましたが(第47回参照)、そのほかに日本の食事情で気付いたことはありますか。

マイヤー-

日本のお母さんは大変そうな気がします。

内田-

何についてでしょうか。

マイヤー-

毎日の献立を考えることと同じですが、お母さんたちは学校のお弁当づくりで悩んでいると言うのです。聞いた話では、他の家庭と競争しているようだ、ともいうのです。ドイツでは本来、昼ごはんは家で食べます。それをつくるのは大変なのですが、周囲がその中身を確認できない、つまりは競争もなく、プライバシーも保たれるわけです。もちろん、子どものために美味しそうなお弁当を、という気持ちは大切ですが、献立で悩むのは少し大変そうな気がしますね。

竹井-

日本では「お弁当の日」を設けている学校が増えきています。これは親ではなく、子ども自らがお弁当をつくるのが本来の姿で、食事について親子でともに考える機会をつくり、子どもたちの食への関心を高め、感謝の心を育むことなどを目的としています。マイヤーさんが聞いた話は恐らく、学校給食の未実施が多い中学校のことかもしれません。

マイヤー-

男女関係なく、学校で料理を学べばいいと思います。私の子ども時代は、学校で料理を学ぶ機会は、一切ありませんでした。今は変わってきているようですが、子どもたちが料理を学べば、食への関心も変わってくるかもしれません。もちろん、料理については家庭で学ぶのが一番ですが、その環境がない子どもや若者たちのために、成績をつけるような形ではなく、学校で料理を学ぶチャンスがあったらいいと思います。

飯田-

日本では家庭科の時間に調理を学ぶ機会はありますが、経験的に、いまはアクティビティーに近く、ご飯を作ることより「みんなで作る」ことに重点が置かれているような印象を受けます。

内田-

日本では「男子厨房に入らず」という言葉があるように、男性は食べる人、女性は作る人という古い観念を引きずっています。生きていくために、男も食事ぐらい作れるようにならなければいけないでしょう。

竹井-

マイヤーさんが指摘したように、それを教える基本は家庭でしょうね。学校は補助的な存在に過ぎないように思います。

飯田-

自分で料理をしないか、あるいはできないから、簡単で便利な外食となるのでしょうね。しかも、オランダやドイツのように、値段は高くはなく、365日、コンビニなら24時間空いていますから。

マイヤー-

地方も、ですか?

飯田-

もちろん地方も同じです。システムとしては便利ですが、私たちの生活するスキルが落ちていくことにつながります。

竹井-

食は、たとえば農産物を作ることから私たちが口にするまで、多くの時間と労力があって成立するものです。それを子どもの頃から感じ取れるような場を『竹井塾』が提案できないかと考えているところです。

内田-

ドイツにはクラインガルテンがあります。日本語では滞在型市民農園と訳されていますが、それが参考になるのではないかと調べているところです。子どもたちが作物を育てるだけではなく食事もつくる、というようなイメージです。

マイヤー-

クラインガルテンは200年以上の歴史があります。元々は労働者のための制度で、小さな家に住む庭を持たない労働者に、庭として郊外の土地を貸し出したのが始まりです。敷地内には小さな小屋があり、住むことはできませんが宿泊は可能です。そこへ家族で出掛けて野菜や果物を栽培するのです。郊外だけではなく、たとえば私の故郷のライネには、町の中心の川沿いにクラインガルテンがあります。

内田-

日本でもクラインガルテンは60か所ほどありますが、先行事例とは少し趣の違うクラインガルテンを考えてみたいものです。