第67回 世界の食と日本【ブラジル①】
内田 正幸(食品ジャーナリスト)
ソウルフード「フェジョアーダ」の謎
ブラジルは、ポルトガルやスペイン、イタリア、ドイツなどのヨーロッパ系や、日系を主体とするアジア系、さらに、かつて奴隷として強制労働させられていたアフリカ系、インディオなど、様々な国や民族の移民とその子孫で構成され、文化も様々に混ざり合って今日の姿を形作っている。
食文化も例外ではなく、ポルトガル由来の西洋料理、大規模農園に奴隷として連れて来られた西アフリカ由来の豆食、イタリア系移民が持ち込んだパスタやピザ、日本などアジア系の料理、そして先住民インディオの食文化であるキャッサバ等々、多種多様な食文化が根付いている。このためブラジルの食は「世界各地の食文化がブラジルの気候風土によって融合され開花した」などと形容されている。
ブラジル料理で有名なのはフェジョアーダとシュラスコだが、日本人の食と同じように食文化は地域で随分と異なる。大きく分けるとインディオの影響が濃い北部、アフリカ系の影響を受けたアフロ・バイーア料理が有名な北東部(沿岸部は除く)、広大な放牧地から供給される牛肉と豚肉、それに魚がメニューの中心で、大豆やトウモロコシなどが常食の中西部、サンパウロやリオ・デ・ジャネイロなどの各州で構成され、トウモロコシ、豚肉、豆類などが主な食材とする南東部、それに、日干しや塩漬けにされた干し肉とシュラスコを作り出した南部の五つである。南部はヨーロッパからの移住者が多く、小麦粉を中心とした食生活が定着、乳製品などをブラジル人の食生活に取り入れるようにしたという。
これらのなかで、ブラジルの“ソウルフード”としてつとに有名なのがフェジョアーダだ。伝統的なフェジョアーダは黒い豆と豚の脂身、干し肉か燻製肉、豚の内蔵などの材料を一緒に煮込み、ニンニクと岩塩で味付けしたこってりした豆の煮込み料理。19世紀に南東部のリオ・デ・ジャネイロで生まれたとされているが、北東部・バイーア州の郷土料理とも言われている。
その発祥にも二説ある。奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人たちが、豚の上質な肉を取った残りの内臓や耳、鼻、足、尻尾などに豆などを加えて食べたという説と、ポルトガルやフランスの農場主たちが、南米で調達しやすい材料で郷土の煮込み料理を作り、その後ブラジルに入植した各国の人たちの料理法が混ざり合ってフェジョアーダに進化したとの説である。近年は後者が有力視されている。
真偽の追求はしないが、いずれにしても、移民文化が生み出した食文化であることだけ間違いない。
フェジョアーダは少し脂っぽいので、付けあわせが用意されることがほとんど。繊切りにして炒めたケールやキャッサバの粉、キャッサバ芋のフライなどである。
ちなみに、北東部のバイーア州には、16世紀からの約200年間、サルバドルにブラジルの首都がおかれ、古都としての街並みとともに黒人奴隷の史跡も多く存在している。このため、食文化も前述したようにアフロ・バイーア料理が有名で、フェジョアーダの他に、魚介類とパームオイルが大量に入ったスパイシーなスープ「ムケッカ」が有名だ。スープとともに、付け合せとしてご飯(インディカ米)とキャッサバの粉を合わせて食べる。
バイーア料理で特徴的なのはパームオイルを多く使うこと。パームオイルは黒人奴隷の故郷・アフリカで食されていたことから広まったとされている。貧しかった黒人奴隷は、この油で野生動物を調理し、それがバイーア料理の基礎となったとも言われている。