心をひとつに―3

 「心をひとつに」という言葉は、教育現場ではよく耳にします。この言葉は、学級経営や運動会などの学校行事、とりわけ合唱・合奏などの音楽指導で耳にする機会が多い気がします。私も何度か使ったことがありますが、なんとも抽象的な言葉ですよね。しかし、この言葉は子どもたちには馴染みがあり、よく理解しているかのように「心をひとつに」する姿として広がっていくことがあります。
 音楽専科をしているときに、気が付いたことがありました。授業の始めに学級合唱をするのですが、その合唱の声で学級の様子がわかってしまうことです。
ある日の授業で、合唱が美しく響かない学級がありました。いつもは素晴らしい合唱をする学級でしたので、どうしたものかと担任の先生に相談すると、学級経営がうまくいっていないと嘆いていたのです。
 その逆のこともありました。合唱があまり得意ではない学級が、ある日素晴らしい合唱を聴かせてくれたので、担任の先生に話を聞くと「学級がひとつにまとまっている充実感を得ている」とのことでした。
 このように考えると、合唱とはまさに人間関係の縮図なのではないか。「今の合唱はどうですか」と、担任の先生が学級経営のバロメーターのように質問しにきます。そこで、どうして合唱で学級の様子がわかるのかを考えてみることにしました。すると、以下のようなことがわかってきました。
・互いの声を支え合おうとする、思いやる心が醸成されていること。
・お互いの声を聴き合える、より良い人間関係が構築されていること。
・自分の声をいきいきと表現できる、安心の空間が広がっていること。
 音楽科の授業では、どうしても技能指導に力を入れすぎ、音楽表現を高めれば良いということがあり、私も「よし、うまくなった」と自己満足で授業を終えることがありました。しかし、良く考えてみると、音楽表現をいくら高めても、音楽に感動する心がなければ、音楽を学んだことにはならないと思います。
 音楽に感動する心は、互いの音を聴き合うことでうまれる柔らかい心だったり、素晴らしい合唱や合奏にしたいと、音でつながろうとする心だったりするわけです。
 音楽科教科目標の最後に、「豊かな情操を養う」とあります。情操とは、美しいものや優れたものに接して感動する豊かな心です。音楽の美しさを追求しつつ、一人ひとりの豊かな心を育てることを目標にしている音楽科教育は、まさに道徳教育との相乗効果で人間教育へ進化を遂げるのではないでしょうか。音楽を通して人を育てる。そのための「心をひとつに」という視点は、人間教育における大きな重点なのです。

 

それにしても、子どもたちに「心をひとつに」という言葉が響くのは、なぜなのでしょうか…。不思議です。子どもたちと過ごしながら、その謎に迫っていきたいと思います。

皆さんはどう思われますか。

竹井 秀文
竹井 秀文名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長

大学卒業後、証券会社に入社。その後、福岡県筑紫野市立筑紫東小学校、岐阜大学教育学部附属小学校、東京学芸大学附属竹早小学校ほかで教職に従事。
現在は名古屋市の公立小学校で、道徳教育に磨きをかけながら、食生活の重要性を伝えることに注力しています。
趣味は、旅行、バレーボール観戦、ドライブ。
竹井塾を入口に、日本中で頑張る先生・栄養士・家庭を含め、みんなで子どもたちと食の大切さを語り合える場をつくっていけたらと考えております。
そして将来の夢は、日本の素晴らしい道徳教育を世界にも広げていくことです。