第5回 食は家庭と学校の架け橋(パート2)
参加者
- 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
- 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
- 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
- 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
- 内田 正幸(食品ジャーナリスト)
バケツ稲が醸した絆
食は学校だけではなく、家庭と繋がるのだと感動したのは、これも若かりし頃のことでした。丸くなって給食することから学んだことの大きさについてはすでにお話ししましたが、記憶では、そのクラスの子どもたちは自分たちの給食の様子を「おにぎりみたい」とか、あるいはまたクラスを「おにぎり学級※」と呼んでいました。
「おにぎり学級」というと、“まとまり”を象徴する学級目標として、広がりを見せているようです。
実は、最初にそれを提唱したのは私ではないかと自負しているところです。というのは、何かを参考にしたわけではなく、子どもたちと接するなかからヒントを得て、「おにぎりのように、まとまりのあるクラスにしたい」と十数年前に話した記憶があるからです。「おにぎり学級」はまた、私が教育に携わるうえでの原点と言っても差し支えありません。
子どもたちとの最初の出会いの時間は、私たちのいわば所信表明の場です。ただ、子どもたちは小学生なので、具体的で象徴的なモノが伝わりやすいと考えておにぎりを見せることを続けています。それだけではなく、「おにぎりパーティー」を開いておにぎりを握らせることもあります。その方がよりリアリティがありますからね。そこで、こういう話をします。「ご飯を入れるお椀は教室で、ご飯を包むラップは先生。そしてみんなはご飯一粒一粒です。で、握ってからラップをはがしてご飯粒が残っていなかったら上手に握れた証拠。だから、バラバラにならないように願いを込めて握ろうね」と。すると、みんな上手に握ります。また、給食で出されるご飯を残さないようになるし、お米に対する気持ちも自ずと変わってくるようです。
そうすると、「お米を作ってみたい」となりそうですが…
それは必然でしたし、冒頭でお話ししたように、バケツを使った稲作りを通して、家庭との繋がりをひしひしと感じる体験をしました。
稲作りを通して子どもたちと私が学び、教えられたことは多々あります。それは後々お話ししますが、バケツとはいえ稲作りは自然との闘いです。種籾から子どもたちが大切に育て上げたものの、夏休み中に台風が襲ってきたこともありました。その時、親御さんから「先生、台風が来そうなのでバケツを教室に入れましょうか」って、夕方に電話があったのです。それも一人や二人ではありません。その協力のおかげで40数個のバケツは教室に避難できたので、バケツ稲は台風の影響を受けずに済んだのです。この時、稲作りは単に学校だけではなく、家庭をも巻き込みながらそこと繋がっているのだと確信しました。稲の花が咲く(出穂)ころには、親御さんと見に来る子どもも大勢いたこととあわせて、学級経営として「おにぎり」があり、その延長としての「バケツ稲」というように簡単に片づけられないとも考えました。
それだけではありません。簡易精米機の提供を申し出た親御さんもいて、これには「エッ」と驚かされました。「子どもが、『自分たちで作った白いお米を食べたい。茶色にしかならないから…』と言うのでね」というわけです。実際、子どもたちが手作業でやるには玄米にするのが精いっぱいなので、その申し出を有難く受け入れました。そして、精米後のぬかは、ぬか漬けの元になることも話ができたので、子どもたちには、お米が持つ食材としての広がりを肌で感じ取る絶好の機会にもなりました。この一件でも、学校と家庭の強い繋がりを感じました。
広い意味での食が、家庭と学校の距離をグンと縮めるきっかけになることがわかるエピソードですね。
※「おにぎり学級」…ネットで検索すると、小学校5年生の学級目標として「おにぎり」を掲げた例が紹介されていました。
意味:ご飯粒は1粒ずつ食べても味わいが弱いけれどまとめて食べると美味しい。(中略) ましてやみんなで一緒に食べると忘れられない思い出の味になる。そんなおにぎりのようにまとまって1人も見捨てないクラスを目指す。
エピソードとして次のようなコメントも。
「クラスの大半が楽しいと思うクラスではなく、悲しいと思う人が1人もいないクラスを目指したい」という担任の話に呼応して子どもたちが考えて決めました。