第11回 給食は社会の窓口(パート4)
参加者
- 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
- 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
- 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
- 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
- 内田 正幸(食品ジャーナリスト)
「生命をいただく」ことのリアル
食事の前に「いただきます」と言います。この言葉は、食は生命をいただくことを意味しています。ところが、かつてのコマーシャルではありませんが、「ボク、食べる人」、「ワタシ、つくる人」※と意味は違いますが、生産と消費が分断されてしまい、その距離はますます広がってきています。そのために生命を育くむ元になる生産現場へのリアルを欠き、また、生産者へ思いを馳せる消費者は圧倒的に少数派になり、安ければそれでいい!が主流です。
それはともかく、数十年にわたって農業や漁業などの生産現場を取材してきましたが、そのなかで印象に残っているのは豚の屠畜現場です。目の前の生きていた豚が屠されるわけで、「生命をいただく」ことがストレートに伝わってきたからです。しかし、それではまだ食肉とはいえません。屠畜場から出荷されるのは数十キロもある枝肉です。それが加工センターに運ばれて熟練職人が手作業で脱骨、さらに余分な脂肪を削ぎ落してからやっと、機械でスライス肉などに加工されます。こで初めて私たちが口にできる食肉になるわけです。本来は大人が知っておくべきことですが、そうした観点からの食育も求められているのではないでしょうか。
私たちが口にするまでには、長い道のりといろいろな人の関わりがある。それが食ですよね。
乳牛と肉牛、そして子牛が学校に来たことがあります。子どもたちは牛乳を使ってチーズやバターを作る体験をしました。そのなかで、牛を連れてきたスタッフの方々がこんな話をされました。「みんなが食べている牛肉は大人の牛だけど、今日連れてきた子牛のような肉はとても貴重で、おいしんだよ」。「この子牛は生後5か月。あと2か月もすると肉になりますから」と。その意味が即座にわかる子どもは、あまりのリアルさに驚いた様子でした。
さらにリアルだったのは給食でした。牛丼だったからです。献立は1か月前に決まるので、その学習に合わせたのでしょうが、子どもたちから「エーッ」という声が上がりました。また、「さっきの子牛じゃないよね」というニュアンスの反応もありましたが、子どもたちには、「いただきます」という言葉の意味がリアルに伝わったはずだと思います。私もそうでしたからね。
私も、取材後の昼食に用意されていたのが豚カツ。取材の仲介の労をとっていただいた方はその場で、「生命をいただきます!です」という一言を付け加えるのを忘れませんでした。それも印象に残っています。
そういう現場があり、また人々の働きの結果、私たちは生命を繋ぐことができているわけですよね。実は、小学生1年生には刺激的ではないかと思いましたが、司書の先生に閉鎖した屠畜場の写真集の読み聞かせをしていただいたことがあります。先生はドキュメント写真集を見せながら、「牛さんを可哀想と思うかもしれないけれども、こうして新鮮なお肉になるので、ありがたくいただくことが大切」と話をされました。子どもたちはシ~ンとして先生の話を聞いていましたが、とてもリアルな経験になったはずです。
一般化するのは難しいかもしれませんが、現場そのものではなくても、それに近い情報に接する機会はつくれそうですね。また、水産物や米をはじめとする農産物でも、生産現場の姿を伝えながら「生命をいただく」の意味を引き寄せることは可能ではないでしょうか。
私は2年間、3月種まきから田植え、除草、農薬散布、収穫、そしてその後の秋口に行う米作りまでを経験しました。当たり前ですが、米作りも田植えしたら終わりではありません。農業者の間では「米は機械化が進んでいるから」と言われていますが、それでも必要なのはやはり人手です。農作業は重労働だし、また農家はどこも高齢化と人手不足が深刻だという現実を肌で感じ取りました。そうした現実もまた、広い意味で食の教材にできるような気がします。
私たちが「生命をいただく」ことを教えるとすれば、ストレートではなくても、給食を残さないように指導することでも可能でしょう。また、食物連鎖の頂点にいるのが人間だと分かれば、給食は残せないはずです。
実際、稲作りでそれに近い経験をしました。子どもたちに稲作りは驚きの連続だったし、それを通して、いつも食べている白いお米は「当たり前ではないのだ」と知った時、給食への思いは他のクラスをはるかに凌いでいました。
※「ワタシ、つくる人」「ボク、食べる人」
1975年に流された大手食品メーカーのインスタントラーメンのCMコピー。調理する役割は女性との固定観念は「女性蔑視に当たる」などとして女性運動団体などが批判。おおよそ1か月で放送中止に追いこまれました。
【総括】(竹井塾長)
「生命をいただく」とは、尊い言葉だと思います。それは、そんなに簡単なことではないからです。ですから、「生命をいただく」には、続きの言葉があると思います。
「生命をいただいて、生かされている」
道徳の授業でも、生命尊重の授業をします。授業の中で、子どもたちは、「ああ、自分の生命は、自分だけのもんじゃないんだ。」と発言することがあります。自分には、大切な生命があるけれども、その生命は、今まで大切に守られ、育まれてきたのだということを理解できたのです。食という視点から考えてみても、実に多くの生命によって、今の自分の生命が成り立っていることを理解することができます。生命は生命を支えている。だから、自分の生命も多くの人、ものに支えられているのだという尊重する気持ちが芽生えるのでしょう。
自分の生命ば、かがやかせて生きていくばい!!
(次週からは「食は子どもたちの未来をつくる」と題して座談会は続きます)