第23回 学校給食を考える

参加者

  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
  • 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 岡澤 京子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
  • 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

「お膳立て」をめぐって④

内田-

前回(第22回)では、家庭と学校給食の役割が逆転しているとの指摘が挙がりました。

岡澤-

私がこの仕事を始めた30数年前の給食は加工食品を使っているというイメージが強く、実際、たとえば出汁も粉末でした。ただその後、ルーをはじめとして徐々に手作りが増えてきました。外食産業や加工食品の味は化学調味料の味です。子どもが飛びつきやすい味なので、給食ではそれを使わずにムロ削りや煮干しなどを使い、手作りに変わってきています。ですから、今は給食が手作りで家庭は外食と加工食品ばかりではないでしょうか。手作りについても、いつのまにか逆転してしまっているようです。
また、食事は家庭が3食のうち2食で、学校は1食と言われますが、家庭では朝食の欠食があるので現実は2.5食くらいかもしれません。

藤原-

「朝食は食べなくても大丈夫」という大人が親になると、整った朝食ではなくてもとりあえず何かを食べさせておけば「大丈夫じゃない」となります。「私も大丈夫だったし、これといった害もないし」と、自らを納得させているようです。実際、糖尿病や認知症の人の何%が「朝食を摂っていない」という統計はありませんからね。食事作りにエネルギーをかけなくて済むなら済ませたいというのが本音なのでしょう。

内田-

竹井さんのお母さんに家庭における食についてインタビューしましたが、「今、40歳あたりから家庭の食が乱れてきたように感じる」と話されていました。だから「伝える食もない」とも。その危機感は共通認識のようで、料理人たちが日本の食文化を守るために、学校給食の支援活動をしていることが新聞で紹介されるほどです。

藤原-

渡邉教授は「家庭料理もレシピ本がブームで、それを眺めると創作料理にシノギを削っている感があり、ファッション化している」ことについて、「その創作料理が曲者です。 目新しさに関心が行き、何を食しているかという意識や、素材への感謝がどこかに消えていきます。伝統的な料理には、地域に見合った素材を生かしつつ、それをいかに美味しく食べるかという先人の知恵が込められています。深い味わいと、それを作ってくれた人への思い出も込められているはずです」(第16回参照)と指摘していました。その通りです。実体験を踏まえて、家庭料理の主流は日本食ではなく、無国籍のアレンジ食という風潮に流れているように感じます。

内田-

オシャレ感ですね。そして若い男性は外食で“スマホ食い+犬食い”。見ていて不愉快になることがしばしばです。

岡澤-

食べ方に家庭が出ますよね。箸の持ち方から背筋を伸ばして食べるなど、学校でも食事のマナーまで教えなければならない時代です。前を向かずに食べる子供もいますからね。

藤原-

そういう子どもに「お家で注意されないの」と聞くと、「お父さんもこうしている」です。

西秋-

繰り返しになりますが、食文化には食事のマナーも含まれます。

竹井-

道徳にも「なぜ挨拶しなければいけないのか」といったマナーを学びます。それは当たり前のことですが、食事マナーでその当たり前が崩れてきていることが問題です。子どもの食事マナーが乱れているのは親がそれを知らないからであり、そこが問題の根本です。そこが変わらない限り、家庭における食の復権はかなわないように思います。また学校では、先生が指導できるかどうかです。歩き食いしている子どもがいても先生が注意しないこともありますから…

藤原-

エッ、それはいかん、いかん、無法地帯ではないですか。

竹井-

家庭でも学校でも食事のマナーは最低ライン。「躾は家庭の問題でしょ」という声もありますが、それができていない家庭もあるのが現状です。だから学校では、食事のマナーは食文化の一つであることを子どもたちに提示して指導しないといかなければなりません。

内田-

私たちがイメージする外食や加工食品は作られた味ですが、今は家庭で手作りした美味しさではなく、○○会社の○○が美味しいということに関心が向いています。それがまたグルメなのでしょうね。