第28回 そうだったのか竹井塾(パート2)

参加者

  • 斎藤 雄一(仮名:元・公立小学校校長)
  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

学級内孤食について②

竹井-

斎藤先生が「みんなと同じ程度の時間で食べる習慣」と仰いました。その通りで、給食を時間内に食べることを教えることも給食指導の一つだと思います。しかし一方で、時間内に食べられない子どももいる。これは今も変わりません。昔の先生もその狭間で悩んでいたのでしょうね。

斎藤-

給食時間は大体、配膳で15分、食べる時間が15分、後片付けが15分という割り振りになるでしょうか。15分あれば何とか食べ切れる気がしますが、個人差があります。卑近な例を持ち出せば我が家の息子と娘とでは、食事時間は5分程度と30分というように、随分と違いがありましたから。

内田-

15分で食べきれない子どもを教室に一人残せば、学級内孤食風になりますよね。

斎藤-

一人残して、食べさせることもなかったのかもしれませんよね。

竹井-

そういう子どもに私の小学校時代の担任は、「もったいなから残さないように」という指導をしていた記憶があります。

斎藤-

私は「健康的な身体ができないよ」などと指導した記憶がありますが、食が細い子どもは生きる力が足りないように感じていたので「半分は食べようよ」と諭していましたが、思い返せば三分の一でも良かったのかもしれません。

内田-

たとえ半分でも三分の一でも家庭でしっかりと朝、夜を食べていれば問題はないのかもしれませんが、それが先生たちには見えません。

斎藤-

それに、家庭では偏った食事をしている可能性がなきにしもあらずです。その点、給食はバランスがとれている食事です。ですから、私が若い教員時代には給食で体調を整えている子どもが何人かいました。朝も夜も食事があるかないかという家庭もあったので、子どもは文字通り「給食で生きている」という印象でしたね。

内田-

それがセーフティーネットとしての給食の役割でもありますが、家庭の食が偏っている点については、いまも心配されています。加工食品全盛で「おふくろの味」ではなく「袋の味」しか知らないばかりか、食事も菓子で代用しているようなケースも驚くことではないようです。現場からそういう声は上がってきませんか。

斎藤-

現場からは聞こえてきませんが、講演会などに出かけると「メロンパン1個の朝食」などと恵まれない子どもたちの話を耳にすることはあります。

内田-

食育基本法が施行されても、家庭に食の大切さが届きづらい状況にあるようです。その推進役を果たす栄養教諭の先生たちからも悲観する声が上がる一方で、栄養教諭の食育への熱心さに落差があるようです。

斎藤-

栄養教諭の力量について格差はあるのかもしれませんが、これは担任についても言えることです。

竹井-

栄養教諭以外の先生たちが食に興味を示さない。給食が指導であるにもかかわらず、です。これが不思議でなりません。

斎藤-

私が若いころに食育という言葉はありませんでしたが、給食の残菜はゼロだと思い指導していました。そのために、食が細い子どもは半分ほどを食缶に返し、不足する子どもには足すという操作をしながら残菜をゼロにしたわけです。ところが、残菜がゼロではない学級があるという。それを知った時には驚きました。つまり、「残菜がゼロでなくてもいい」と思っていた先生がいたわけですからね。

内田-

食育基本法の有無にかかわらず、先生たちの給食に対する姿勢には昔もいまも格差があるようですね。