第37回 食と宗教(信仰)②食タブーと「食の制御」
ジャーナリスト 内田正幸
牛‐ヒンドゥー教
宗教によっては食のタブーが存在する。東南アジアや南米のアルゼンチン、インド、ネパールなどに滞在経験がある菊池さんに話を伺ったところ、「各国の食文化には宗教が影響しています。今では日本の人達もよくご存知かと思いますが、イスラム教では豚を食べることはタブーなのです。またヒンドゥー教を信仰しているインドやネパールの一部の人達は、『牛(インド原生種のこぶ牛)は神様』なので食べることはできませんが、水牛は悪魔の乗り物ということで、家畜として使役されます。また水牛のミルクは質が良く、値段も高いので飼育数も多く、最終的には食肉として流通していきます」と教えてくれたのである。
そういう理由もあってか、インドは、2012年には水牛も含めるとブラジルやオーストラリアを抜いて世界最大の牛肉の輸出量となった。タブーである牛肉が、世界の胃袋を満たす構図となっていることに、いささか理解が及ばないのである。
またインドでは、牛を殺すことは重大な宗教的タブーだが、それは牛を屠ることはインドではコストが高すぎるからだという説がある。牛は棃を引いてくれる上に粗食に耐え、ミルクを出してくれる有り難い存在。だから、食べることが罪になるというわけである。文化人類学者のマーヴィン・ハリスが『食と文化の謎』で展開したが、“コスト的に引き合わないため、殺牛がタブーになった”と推察している。
理由についてはハリスの説を紹介するにとどめておくが、そのインドでは2017年5月、ヒンドゥー至上主義のモディ政権が雄牛や雌牛、水牛、ラクダを解体のために取引することを禁じる通達を出したが、最高裁判所は7月、地方裁判所の決定(通達の無効)を国内全土で有効とする判断を下したという経緯がある。さらに殺牛をめぐっては、インド国内のイスラム教徒との対立も根深いという。
「宗教・食」が政治問題へと発展することは、宗教戒律をほとんど知らない日本人には理解が及ばないだろう。それだけ宗教と食文化の関係は謎が多く、複雑というべきなのかもしれない。
豚‐イスラム教・ユダヤ教
その伝で言うと、イスラム教とユダヤ教における「豚肉タブー」にもその理由に挙げられていることは数多あり、その様相は複雑だ。一般的には、聖書やコーランにそれに該当する記述があることから、“豚は不浄”と理解されているが、ヒンドゥー教の「なぜ、牛が聖なるものなのか」と同じように、「なぜ、豚が不浄なのか」と、一歩踏み込んだ説明を求められると返答に窮するに違いない。
それを雑駁に紹介すると、「豚が不潔な動物」や「感染症の原因になる」などが挙げられてきた。また、「人間の食糧の確保」との観点もある。この点については、「竹井塾」第17回(食は道徳を超える―子どもたちに伝えたいこと)のなかで、八洲学園大学の渡邉達生教授が次のように触れている。
…ある人が、ムハンマドがなぜ豚肉を食べてはいけないと決めたかについて、こんな説明をしていました。(中略)… 砂漠地帯では人間の食糧となる穀物は育ちにくいため、人間が食べるものなら何でも食べてしまう豚を飼育することは生存競争のライバルになるからだ、とも。つまり、自分たちを守っていくために、食を制御することが大事だということをムハンマドは示したというのです。もちろん、真偽は定かではありません。しかし、食を考える上で示唆的な話ですよね…
生存競争については、マーヴィン・ハリスが同じく著書の中で、「そのうえで―中東のような砂漠地域では豚を飼うことは難しいという歴史的経緯から、豚に慣れ親しまない食べ物として忌み嫌う伝統が作られ、それが宗教的タブーにも取り入れられた」と主張している。
食タブーは地域の伝統が先か、それとも宗教が先なのかはこれ以上詮索しない。ただ、食タブーを「食の制御」に置き換えると、渡邉教授の指摘を待つまでもなく、現代への示唆に富んでいるように思えるのである。