第45回 世界の食と日本【総括 – フィリピン】

名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長 竹井 秀文

第40~44回の『竹井塾』で、「世界の食と日本-フィリピン編」を5回に分けて連載しましたが、子ども食堂やお弁当、学校給食など様々な視点からフィリピンと日本の「食」に対する考え方などを対照することができました。

このようなグローバルな視野に立って「食」について考えることは、日本の中だけでは情報もなく触れることもなかったので有意義であり、さらに国や文化は違えども、「いま」という時代に共に生きる世界中の子供たちの姿を垣間見ることができたことは新鮮で、なぜか微笑ましい気持ちになりました。

第40回『竹井塾』でウータンナローブという話が出ましたが、その言葉の意味するところは「お互い様」。私の子どもの頃は、ご近所同士が支え合いながら、お互いに畑で採れたものや海で捕れたものを「お裾分け」をし、時には隣の家でご飯をいただき、その時々の旬な食材が食卓にのぼり、みんなで囲んで食べる賑やかなもの。そのなかで「きゅうりがおいしかね」などの大人たちの会話で「旬」を知り、いろいろな食材で料理を作ってくれた母親、そして食材そのものを大胆に美味しくいただく親戚・近所の人達を見て、自然と「食」を学んでいたのでしょう。

食育は家庭が担っていて自然に覚えることだと、今回改めて感じましたが、そのことを日本の現状に照らしてみると、生活環境の変化と共に食にまつわることが失われてきたのかもしれません。そのため学校給食への期待が増し、併せて食育という「教育」が必要になったのだと思います。ただ食育は家庭との連携において成り立つ教育のため、現場の先生だけでは難しい場面も多々あり、栄養教諭に任せきりになっているのも、また現状なのです。

そこで今、大事なことは「共生」ではないかと思っています。第41回『竹井塾』の中で「共に生きる、共に生かされている」、第42回『竹井塾』の中では「共同体として子どもを育てる」とありますが、近ごろはコンビニのイートインコーナーで、一人で菓子パンと炭酸飲料で夕食をすませる子どもを多く見かけます。番場さんがご指摘のように、このような観点の欠如が、今の日本の教育から少しばかり抜け落ちているのかもしれません。もしかしたらこの観点の欠如が、孤食を増やしている原因の一つなのではないでしょうか。孤食についてはコラム「鯛も一人はうまからず・孤食について」で取り上げてみました。

また第44回『竹井塾』では、食文化を育むには地産地消に根ざすこと(=ローカル)を基本に置き、常にグローバルに考えること、すなわちグローカル。今回の様々な議論の中で、これからの未来を担う子どもたちの幼少期の「食の記憶」が大事であることにも気が付きました。これは世界中の子供たちと共有するべき思いです。

【座談会総括】

竹井 秀文

昔のよき食環境ば、がば思い出してから、食と共に生きることが大切なこつを、後世に伝えていかないかんばい!!
それしかなか!!

子どもたちの明るい未来のためやけん!!

竹井塾 塾長 竹井 秀文