第24回 学校給食を考える

参加者

  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
  • 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 岡澤 京子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
  • 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

「お膳立て」をめぐって⑤

竹井-

食事のマナーは食文化の一つであることも指導していかなければなりませんが、若い先生は知らないので、職員会議の第1回で「給食の後片付け」までを教えているのが実情です。

菅谷-

若い先生たちを見ていると、給食指導が指導になっていないと感じることもあります。教わっていないから教えるものを持っていないのかもしれません。たとえば後片付けでも、私のクラスは最近、栄養教諭から「同じ食器を重ねて並べてあるし、汁物の残り汁を分けているので食器の片づけがきれい」と褒められたばかりです。どうでもいいことかもしれませんが、目の当てられないクラスもあるようです。給食指導には、そうした道徳に関連した部分もありますよね。

西秋-

給食指導は結局、先生がどれだけ気を付けているかによるでしょう。

藤原-

マナーには、「いただきます」「ご馳走様」以外にも、食材を上手に食べることや、ご飯、汁物、おかずを味わいながら少しずつ口に運び、きれいに食べるということまで含まれます。それが食文化であり、単にお箸を使えればいいという話ではありません。

岡澤-

学校給食が先割れスプーンとアルミの食器を使っていたころは、「学校給食が犬食いを助長する」と批判されたことがありました。それが改善され、今では骨付き魚の食べ方や、ご飯は左で汁物は右から始まり、盛り付け方まで学校給食が情報を発信していかざるを得ない状況です。

菅谷-

私は、学校説明会で必ず食の話を織り込むようにしています。「ご飯を残さないように」とか、仮に残した場合も洗う人が洗いやすいような片づけ方などですが、そういう話が評判となり、後から「とても印象的だった」ということを聞かされることがあります。また、学校給食の食材を子どもと一緒にチェックして、一日の目標は30品目なので家庭の夕食で「あと何品目足らない」と意識しましょうと促すと、「すごい、明日からでもやりたい」という親御さんもいます。

内田-

そうした情報や食べ方を、親たちがそもそも誰にも教えられてこなかったということですかね。

藤原-

道徳には「人の気持ちを考えよう」というのがあります。学校給食ではそれを援用する形で「育ててくれた人、つくってくれた人、運んでくれた人の気持ちを考えましょう」というレベルの話をします。そこで気付くのは、食は紛れもなく道徳と結びついていることです。

竹井-

道徳の教科書をつくるとき、教科書出版社からはいじめや食育など現在の教育問題に直結するような教材をつくってほしいと要望されます。ただ、食に関しては「いただきます」が生命尊重と直結する程度なのが現状で、それほど多くは割けません。そこで私は、食に特化した教材や指導案づくりの必要性を痛感しています。

岡澤-

そういう教材で、子どもたちには、栄養を摂ることは自分の身体を大切にすることであり、身体が元気ならば心も元気になるという当たり前のことを学んでほしいものです。

竹井-

話は少し逸れますが、来年度から道徳が教科化されます。道徳の授業は端的に言えば「人の気持ち」を聞くことです。ところが若い先生は、子どもの頃の体験がないから“新しい道徳”と言われてもイメージが沸いてこない。だけど教科化は目前です。そのため「何を教えたらいいのか不安」という声をよく聞きます。食についてもそれが当てはまります。違いは、教科化される道徳について先生たちに切迫感あるものの、食は食育基本法が施行されても教科化されていないために、いまだ切実な問題となっていないことです。

内田-

ならば「竹井塾」で道徳と同じように給食の教科化を訴え、教材をつくりませんか…