第26回 学校給食を考える

参加者

  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校 教諭/竹井塾塾長)
  • 藤原 涼子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 岡澤 京子(仮名・公立小学校 栄養教諭)
  • 西秋 勇一(仮名・特別支援学校教諭)
  • 菅谷 朝香(仮名・特別支援学校教諭)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

「お膳立て」をめぐって⑦

内田-

渡邉教授は「食は道徳を超える」(第15回~第17回)のなかで、

その観点からいえば給食も良し悪しです。毎日、栄養士さんが献立を考え、しかも飽きのこないように調理してくれていますが、お膳立てしすぎている印象を受けます。栄養や楽しさなども満たす、完璧なお昼の食事を実現しようとしてくれているのです。それはいいことです。が、その結果、お母さんたちは「我が家では多少手抜きをしてもいいかも」となってしまうのです。教育のあり方、という原点に立てば、本来は逆でしょう
と、“学校給食もお膳立てしすぎ”と問いかけました。これについて皆さんの捉え方をうかがいました。立ち止まって学校給食を考える契機にもなったことはもちろんですが、地産地消の受け皿としてなどなお、給食への期待値は高いという印象も持ちました。

西秋-

学校給食が、食は生命をつなぐ尊いものであることを教える場であることはもちろんですが、私はマナーも含めて日本の食文化を経験させ、伝承させることもできる場でもあると思っています。一方で、時代の要請かもしれませんが、豊富なメニューが喜ばしいものとして世界の料理や郷土食まで提供している姿は、家庭に先行してしまっている印象があります。突き詰めれば、学校給食への付加的な要素が多様化していることになるのでしょうね。その評価は学校給食が持つ価値をどこに置くかで異なってくるのでしょうが、もう後戻りできないのかもしれません。しかしそれでもなお、学校給食の場で教えられることは沢山あると思います。

菅谷-

学校給食は「あって当たり前」のように位置づけられています。そして、よりいいものを、受けのいいものを、と走らされている面もあるように映ります。それが結局「お膳立て」になってしまうのでしょう。繰り返しになりますが、子どもや家庭だけではなく社会の要請に応えようと、食材やメニューを豊富化させ、美味しさも追求して進化してきました。しかし、それで子どもたちの心が本当に育っていくのかを問いかけたのが渡邉教授の指摘ではないのでしょうか。それを“学校給食を見つめ直してみようではないか”という提案として受け止めると、行き着くのは1日の3分の2を賄う家庭における食をどうするのか、学校がどこまで関与できるのか、だと思います。

藤原-

家庭への食について知ってほしいメッセージの届け方は、子どもを通すことが効果的ではないでしょうか。栄養教諭は親に直接、話をする機会は少ないし、あっても届きづらい。ただ、子どもが間に入ると大人の反応は違ってくるように感じます。

内田-

子どもが情報を持ち帰ると親は気付くものなのですか。

藤原-

子どもから聞かされたことは「子どもがこんな話をしていました」と嬉しそうに伝えてくることもあります。

岡澤-

給食のおかずが美味しければ子どもがお母さんに言うのでしょうね。「つくり方を教えてほしい」ということもあります。ただ、私たちの力だけでは家庭の食の在り方を変えるのは難しいのが現実です。だからたとえば、小学校5、6年生なら、朝食が欠食でも自分で簡単な食事を用意できるように育てたいと思っています。

藤原-

食育の指定校になった経験があります。月に1回「食育の日」を設けて、学んだことを子どもに書かせ、それを持ち帰って親にも感想を書いてもらいました。これを5年間続けたところ、卒業時に「人の知らないことを学べ、家に帰って家族にその話をすると王様気分になれて楽しかったです」という感想を寄せた子どもがいました。つまり、人の知らないことを知り、それを伝えることはその子どもの力になるだけではなく、家族をも変える力も秘めているように思えます。一つひとつはただの学びです。しかし単なる学習とは違い、それが家族をはじめとする他人との関係を結び、還ってくることにつながる食のもつ特徴であり、いいところだと思います。

竹井-

これまで学校給食の場は「家庭の食の在り様を映す」と、私だけではなく皆さんも話されました。なかには「食のネグレクト」とも呼べるようなケースもあります。その時には「学校給食があって本当に良かった」と思うし、「この一食だけでもちゃんと食べていきなよ」という思いに駆られます。また、家庭の味が「袋の味」が主流になってきています。一方、そうした家庭に食の大切さを説くのは、実は簡単ではありません。“上げ膳、据え膳”では学ぶことが少ないのはもちろんですが、食は実に奥深く、それを学べる機会となるのであれば、学校給食にはまだまだ意味があると思います。子どもだけではなく、家庭や先生たちを含め、教えられない、伝えられないという食の「負のスパイラル」を断ち切るためにもです。
最近、学校給食に関するニュースが相次いでいますが、「竹井塾」では学校給食について考え、訴えることを今後の活動の一つの柱にすべきだと考えています。具体的には「栄養教諭の授業研究と発表会」や「先生の食研修会」など。この他、関連して「食と農のサマーキャンプ」や、食について家庭で話し合える「家庭の食ブック」、パンフレット、リーフレットなどの作成を構想しています。当然、生産者や時には流通業者の協力を仰がなければなりません。そのマッチングを事業の軸に据える予定です。

【総括】(竹井塾長)

竹井 秀文

「食」を子どもたちの大切な学びという視点で捉えなおしたとき、様々な活動の可能性が広がります。と、同時に、大きな課題に直面しているという危機感を覚えます。竹井塾では、どこまでできるかわかりません。しかし、何もしないことは、子どもたちの未来をつぶしてしまうように思えて、いたたまれない気持ちになります。竹井塾は、いよいよ活動へ展開していくときを迎えたように思います。

子どもたちといっしょに食を学ぶことを、どけんかせんといかんばい!!

竹井塾 塾長 竹井 秀文