第40回 世界の食と日本【フィリピン①】
参加者
- 番場 正人(フィリピンミンダナオ島在住・ボランティアで植林活動中)
- 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
- 内田 正幸(食品ジャーナリスト)
「子ども食堂」と「ウータンナローブ」
最近、子どもの食をめぐって「子ども食堂」の活動が全国に広がっています。子どもが1人でも利用でき、無料~数百円ほどで食事ができ、NPO法人や個人が運営しています。貧困家庭や孤食の子どもに食事を提供する場として2012年ごろから注目され始め、地域交流や子どもを見守る場としての食堂も増えていて、全国に約2300か所あるというデータがあります。多くはありませんが、宗教者も「子ども食堂」を開設しています。
フィリピンでは日本のように豊かではありませんが、誰かがモノをあげると自分より貧しい人に半分、あるいは三分の一を渡すという文化があると聞きました。これは宗教というより信仰のレベルなのかもしれませんね。
フィリピンの貧しい子どもたちは、昔の日本のように隣の家に行ってご飯を食べることがよくあります。フィリピンにはウータンナローブ(utang na loob)という言葉があります。タガログ語でウータンは「借りる」で、ローブは「恩」を意味していて、直訳すれば「返しきれない恩」となります。親や親せきに対しての意味合いが強いのですが、広くは「お互い様」に近い感覚です。これが人々の意識の底流に流れています。
番場さんはフィリピンとの関係が長いので伺いますが、その意識は昔からなのか、それとも、16世紀頃フィリピンを植民地として支配したスペインによって布教されたカトリック教会の影響が大きいのでしょうか。
宗教に根ざしたものではないように思います。フィリピン人は元々はマレー民族で、マレーシアあたりでは長屋に一族が数十人も住んでいることも稀ではありません。その延長かもしれませんが、フィリピン人はファミリーの結びつきが強く、集落を構成する人々が一つのファミリーのような感覚です。だから、隣の子どもが我が家でご飯を食べることにも寛容で「お互い様」なのです。
かつての日本にも醤油の貸し借りといったご近所付き合いがありました。その感覚は宗教や信仰では説明がつきませんね。
フィリピンでは、たとえ貧乏でも客にはできる範囲で最大のもてなしをしますから、それは宗教ではなく社会が持っている力、在り様のように思っています。
食に関して言えば、自然に対する感覚をひっくるめた上での感謝の念は、原宗教というか社会の在り様に関わっている話だと思います。そこで思い起こすのが、フィリピン人が暗がりを異様に怖がることです。“精霊のようなお化けを怖がる”とでもいうのでしょうか、それだけ自然に対して畏敬の念があるようです。
カトリックが普及する前、フィリピンでは自然界に存在していると考えられていた精霊を信仰する原宗教が存在していたようです。その伝統が引き継がれているのかもしれませんね。
社会の在り様について言えば、フィリピンの貧しい人たちには私的所有ではなく、それ以前のあったと言われる原始共産制に近い意識があるように思えます。自然と近いところで生活しているので、都市部のスラム街は別として貧しいからといって「子ども食堂」のような支援というような発想にはなりにくいと思います。
フィリピンの山の民は元々、山になっている自然のものを食べてきたわけです。ですから、彼らからすると所有、非所有に関わらずに「自然になっていたもの」を採ってきて食べたり、売ったりするのは当たり前となるのです。どちらが正しいかは置くとして、彼らの生活を見ていると、私的所有に染まった私たちの価値観を相対化しなければいけないと思うこともしばしばです。
番場さんのご紹介
カトリック女子修道会のCBsistersと一緒に、フィリピンの少数民族であるバジャウ族やマノボ族といった経済的に恵まれない人々の自立活動をサポートしています。
ブログ「フィリピン ダバオ郊外 トリルの海辺で」にて、現地情報を公開中です。フィリピンミンダナオサントル会を通じて、CBsistersに寄付することができます。