第70回 世界の食と日本【和食①】

参加者

  • 阿部 修(「四季和食『百菜』赤坂」代表・45歳)
  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

和食(日本食)に関心が薄いニッポン人

内田-

淡路島の食材をメインにした「百菜」をオープンしてから6年。阿部さんが和食の道を究めようとした理由をお聞かせください。

阿部-

子どもの頃から食事は自分でつくっていたので、料理をすることへの抵抗感はありませんでした。また、「手に職をつける」ことを意識していたので、自然の流れとでもいうのでしょうか、高校を卒業と同時に調理学校に進みました。

竹井-

初めから和食の道、と決めていたのでしょうか。

阿部-

調理学校へ入学する頃は、調理の世界はイタリアンやフレンチが一般的になりつつありました。どの料理であれ、本場で究めたい気持ちを強く持っていましたが、そのために渡航するのは容易ではありませんでした。それで和食に決めました。私が日本人だという極めて単純かつ明快な理由からですが、日本には和食を学ぶ場が豊富にあることも大きいですよね。
だから、調理学校卒業後は修行の連続でした。卒業と同時に入ったのはふぐ料理店です。ここで3年間修業してふぐの調理師免許を取得しました。その後も京懐石からホテルの日本料理など数年おきに修行先を変えました。というのは、和食と一言でいってもその範囲は広く、それぞれの仕事から多くのことを学び取らなければ、視野が狭くなると考えたからです。また、いずれは独立することを決めていたので、その際には多くの経験が生きてくるだろうとも思っていました。

内田-

阿部さんが学び、かつ、料理人として向き合っている和食が、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。どういう感想を持たれましたか。

阿部-

無形文化遺産に登録されたことで、外国の方々に和食を知ってもらう機会になったことは事実でしょう。だから、その限りにおいては良かったかもしれません。ただ、私たちにとって、何かが変わったわけではありません。「無形文化遺産だからって何?」という印象ですね。

内田-

ユネスコの無形文化遺産に登録されることは、「それが“消えゆく文化”という危機的状況にあるからだ」との指摘もあります。

阿部-

登録されたことで外国の方が和食を理解しようとしているその一方で、日本人が和食ないしは日本食への関心が薄いとでもいうのでしょうか、そんな印象を漠然と受けます。だから、家庭では西洋風和食の料理が多くなるという流れになるのでしょう。これは恐らく、諸外国ではあまり見られない一つの食文化かもしれませんが、どうして西洋の食文化に寄って行ってしまうのかという疑問はあります。
よく聞く話は、たとえば家庭で献立に魚を出しても、子どもが食べないからハンバーグになってしまうということです。ただ、それを繰り返すと、家庭で魚に接する機会が少なくなってしまいます。

内田-

魚は面倒くさいとか、家庭では和食や日本食は「手間がかかる」と捉えられているようです。家庭料理のキーワードはいまや、「簡単便利」と「時短」です。

阿部-

われわれのような料理人は、時間をかけて出汁を引くので「手間」はかかります。「手間暇」をかけた丁寧な仕事が旨さと美味しさを引き出すからです。また、そうしなければお金を頂戴できませんからね。だからといって、家庭料理はプロを目指す必要はありません。いまは、出汁だけではなく、ほかの食材も簡単に手に入ります。それを利用すれば、家庭の献立に日本食を取り入れることは、難しいことではないと思います。