第77回 食と食育をめぐって④
参加者
- 柿沼 忍昭(曹洞宗渓月山・長光寺の住職。『食禅 心と体をととのえる「ご飯」の食べ方』の著者)
- 八木 眞澄(NPO法人 日本フィリピンボランティア協会・顧問)
- 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
- 内田 正幸(食品ジャーナリスト)
知り・選び、そしてつくる‐買い物は投票行動
食育で必要なのは自分でつくることにある。それは学校の給食でも実践できるし、家庭でももちろんのことなのでしょう。自分でつくる重要性は、八洲学園大学の渡邉教授も指摘していたことで、教授は学校給食について「お膳立てしすぎ」とも指摘していました。
私は、学校給食は週に3日でいいと思っています。あと2日は自分たちでつくるようにすればいいんです。12歳になれば6年後には選挙権を得ます。それを考えると、少なくとも6年間で煮炊きできるようにするのが義務教育ではないでしょうか。食は生きる戦略ですが、それを委ねてしまっているのが現状です。その戦略を自分で考えなければなりません。それは自分を守ることであり、それを教えるのが教育であり、これさえ学べば教育は終わりでしょう。ところが実際の教育は専門家を選別するための教育であり、生きるための教育ではありません。
義務教育は、それが終われば自分で食べていけるようにするのが基本とも言えますね。
ところで、柿沼さんの「食を委ねている」ことについて言うと、母親を対象にした講演で、「日本で収穫されたもので献立をたてることが基本。献立をバラエティ豊かにするために、外国から多くの食材を輸入していることが本当に豊かなのでしょうか」と問いかけたことがあります。
食育では地産地消が奨励されていますが、給食も家庭も輸入食材なしには成り立たないのが今の日本です。アメリカを筆頭に諸外国に食を委ねています。
それを知ることも含めて、子どもたちが口に入れる食材がどのように育てられたかを知り、選ぶ力をつけさせることが先決でしょう。次のステップが「つくる力」です。そこには、火を使うといった人間の知恵と工夫が詰まっています。それらを子どもの頃に身につけてほしいと思います。
選んで買うという行為は、選挙の投票と同じです。政治家を選ぶことは、自分たちの命を守ることにつながっているわけで、それは食についても言えることです。選択することで変えることができるわけですからね。学んで選択することを教えるのも教育でしょう。
生きる戦略で大切なことは自給自足で、それが可能ならば輸入食品を拒否できます。そのために重要なのが種子です。ところが日本の農産物の種子の多くは、海外の種子メーカーの紐付きです。これではたして、自給といえるのでしょうか。6年生の食育授業で教えたことはそうした現実です。
住職さんから“種子支配”の話が出るとは予想外です。
お寺は物心ともに地域社会の核でなければならないと思っています。食育も学校だけではなく地域社会の関与も求めています。江戸時代、大火のときに避難民が向かったのはお寺でした。敷地は広く食料の備蓄もあったからです。災害が多くなってきたいまだからこそ、そうした社会的な機能に目を向け、地域社会の拠点となるような取り組みを期待したいですね。
お寺は地域の食がつながっていた場でもありました。ところが、檀家さんが離れて御霊供膳の伝承が切れ、その再構築が難しくなっています。私の寺でも同じです。ただ、一汁三菜をはじめ、和食の原点を伝えたのは道元禅師であり、「つくりかた」や「食べかた」、器をはじめとする「扱い方」など、食のすべては「典座教訓」に詰まっていると思います。
八木さんが指摘したような取り組みを通して、お寺が食の本来や和食についても学ぶ場なのだと、多くの人が気付くきっかけになればうれしいですね。