第81回 記憶に残る食③

参加者

  • 渡邊 達生(八洲学園大学教授)
  • 八木 眞澄(NPO法人 日本フィリピンボランティア協会・顧問)
  • 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
  • 内田 正幸(食品ジャーナリスト)

食材から学ぶ多様性

竹井-

前回、人間は多くの動物と違い、赤の他人とも食を分かち合えるという話が出ました。

渡邉-

人間も動物ですから自分勝手にしたいという動物的本能を持っています。しかし一方で、それに重石をのせてコントロールする大切な部分をもっているような気がします。食について言えば、腹が減ったからと勝手に自分一人でガツガツ食べずに「皆が揃うまで待とう」と抑制しますよね。学校給食も同じで給食当番の準備が整い、配膳が終わるまで待つことも然りです。端的に言えば我慢しなければならない気分です。それが無ければ「我先に」の動物と何ら変わりません。
実はそれが家庭では大切な躾であり、学校教育での食べる時の行儀等々を教えることの意味だと思います。

八木-

食欲は生命維持に関わることですから、それをコントロールすることも大事です。コントロールと関係しませんが、私が危惧していることは、画一的な加工食品全盛の時代にあって、食材の多様性を知る機会が減ってきていることです。たとえばトマト。見かけは同じでも季節や畑によって本来は味が違うことを、かつては学んだものです。

内田-

農産物も規格全盛で、スーパーでは「本日の糖度は○○度」などと表示されているケースが増えています。糖度の低いものはどこへ行ってしまったのでしょうかね。

渡邉-

均一なものをつくらないと販売できないことが、食材の個性と、それがどのように出来ているかを見つけ出していく能力を失わせる結果につながっています。トマトだけではありません。みかんも昔は酸っぱいのがあるのが当たり前でした。

八木-

それをかつては許容していましたが、いまは、万人に合う味覚にしています。それが規格なのでしょうが、もし規格外は受け入れないことが当たり前になると、子どもの許容範囲が狭くなり、そのことが人間関係にまで影響を及ぼしてしまうのではないかと恐れています。

内田-

「多様性が大切」と言いながら、実は食べ物にそれを認めずに規格一辺倒です。

八木-

酸っぱいみかんであってもいい。皮が硬い果物であってもいいのです。
大切なのはそれに親が「まだ旬には早いから皮が硬いんだよね」と一言付け加えることです。だから、「子どもと一緒に食事をしてください!」と言い続けてきたのです。大人の経験の言葉添えをしていくことが躾であり、道徳なのだと思います。

内田-

その大人が添えるべき言葉を持っていないのが現在ではないでしょうか。

渡邉-

モノがありすぎると、貴重感や食材に対する感謝が浮かぶ状況がないのかもしれません。

八木-

食育で何が大切かといえば、それぞれの生命をいただいて自分の命に代えていることへの感謝の思いである「いただきます」です。やっと手に入れたものに感謝し、それをつくってくれた人にも感謝が湧いてくる。それを経験する場が段々と少なくなってきているから、添える言葉を持ちえないのかもしれません。

渡邉-

子どもも親も、ベランダ菜園でもいいから自分で野菜を育ててみれば、自分の思い通りにならないことがよく分かります。また、それぞれの野菜のDNAが創り出している生命力に気付かされるし、食材への思いも深まります。ナスを育てると、なぜしっかりと根を張るのか、なぜは葉っぱが大きく実がなかなか育たないのかなど、気付くことは沢山あります。

八木-

自分で育ててみる経験は大切です。まして子どもたちは、自分で育てたものは大切に食べますから。

竹井-

バケツ稲の栽培に取り組んだ時(第5回第12回参照)が、まさにその通りでした。
食育は学校だけで取り組めるものではありません。家庭はもちろんのこと、地域社会を含め、子どもたちの食の未来をどのように創造していくのか、まさにいまが正念場だと思います。