第84回 竹井塾から進化し、新たな組織へ②
参加者
- 竹井 秀文(名古屋市立公立小学校教諭/竹井塾塾長)
- 内田 正幸(食品ジャーナリスト)
身土不二を求めて
「身土不二※」は仏教書に出てくる言葉らしいのですが、日本では明治時代に「食育」を提唱したとされる軍医の石塚左玄らが、食養道運動のスローガンとして用いたと言われています。「身体と土は一つである」、身近なところで育ったものを食べ、生活するのが良いという考え方で、今は「地産地消」などとともに食に対する信条として用いられています。ただ、明治時代の食は基本的に「身土不二」ではなかったのかと、そんな疑問が湧いてきます。
※食の分野では「しんどふじ」と読みますが、仏教では「しんどふに」と読みます。
文明開化以来、食の洋風化が進み、それまでに見られなかった病気が蔓延したことが「身土不二」がスローガンとして用いられた理由としてあげられています。昭和初期には、「病人は多く病院はいずれも大繁盛。飲食店はますます増加し、四六時中千客万来の光景」と書き残している状況だったらしいのです。
「身土不二」には、地元の旬の食材や地域の伝統食が健康に良いという意味も込められています。私はいま岐阜に住んでいますが、奥飛騨には山之村寒干し大根という伝統的な食材があります。陽と風という自然と人が織りなす、先人の知恵が凝縮されている食文化です。日本各地にそうした伝統食材がありますが、これらを見つめ直すことも大切なことでしょう。
伝統食は日本だけではなく、各国にもあります。また、同じ国でも地域によって異なる食文化があることは「竹井塾」でも紹介してきました。そうした異なる食文化を学ぶことも大切ですが、まずは足元を振り返ることが必要かもしれませんね。
振り返りにはまず、旬だと思います。その季節に獲れたものを中心に食べれば、暮らしている地域の気候と風土に適応し、季節の変化についてゆくことができます。たとえば夏野菜は、人間が暑さに対応しやすいように身体を冷やし、緩める働きのある成分が多く、いまさらながら自然はうまくできていると思わざるを得ません。ところが、夏野菜の代表とも言われるキュウリなどはいまや一年中、手に入ります。実はかつて、学校で夏野菜と冬野菜を栽培して給食で食べる授業をしたことがありますが、子どもたちはその違いをほとんど分かりませんでした。
それでも、野菜作りの体験を通じて学ぶことは多かったはずです。上手に育たないとか、病気や害虫をどう駆除するにはどうしたらいいのか?とかね。また、「バケツ稲」と同じですが、自分で育てると愛着も湧き、向き合い方も変わってきませんでしたか?
野菜が苦手な子どもも自分で育てたものは食べるし、しかも「おいしい」って言いましたね。農薬を使わないためにはどうするかまで、みんなで野菜会議を開き、話し合いをしました。そして、毎日、畑を見ながら手塩にかけて育てたわけですから、「これこそ食育だ!」と痛感しました。給食の時間に「苦手なものも一口は食べなさい!」という指導よりも、はるかに効果的だとも思いました。子どもたちは本来、土に触れることを求めているのではないでしょうか、また、触れさせることで心も育ちます。
土といえば、牛、豚、鶏などのエサを育てるのは土だし、「森は海の友だち」という言葉があるように、魚介類も土と無縁ではありません。
海が豊かなのは山が豊かだからとはよく言われます。土、つまりは環境となります。食を育む環境と、その一部である身体を切り離すことはできないはずです。
食育と身土不二を辿ると、日本では奇しくも同じ人物に行き着きますが、とどまることをしらない食の欧米化と、それに伴う食糧の海外への依存が何をもたらしてきたのか、あらためて考えたいですね。その視点となるのが伝統的な食、あるいは故郷の食、つまり、日本人は何をどのように食べてきたのか?ということになるのかもしれません。
日本の食は量的には豊かです。ただ、日本の食文化を育んできた歴史を置き去りにしていたのでは、「和食が無形文化遺産」「海外の和食ブーム」と喜んでばかりではいられません。消えゆく文化だからこそ、“無形文化遺産”に登録されたという一面を忘れたくありませんね。