第87回 「竹井塾」を振り返って①

内田 正幸(食品ジャーナリスト)

濃い味、淡味‐滋味

「竹井塾」の第13回「食は子どもたちの未来をつくる」のなかで、特別支援学校の菅谷教諭は、次のような風潮に懸念を示していた。

食と子どもの将来について実感することは、小さいころから甘いものを摂りすぎていないかということです。私の子育ての経験で、1人目の子育て中に「ジュースを飲ませ過ぎかな」と思っていたところ、どうも子どもが落ち着かないなと感じたことがあります。そこで控えるようにしました。因果関係はハッキリわかりませんが、すると落ち着きを取り戻したように感じるようになりました。私が勤める学校の子どもたちも、小さい時から甘さ成分を多く含んだ飲料を飲み続けている子どもが多いように見受けられます

ジュースの飲み過ぎと落ち着きがないことの因果関係はハッキリしないが、炭酸飲料や果汁飲料(ジュース)、スポーツドリンクなどで問題になってくるのはこれらに含まれる糖分。これらの飲料を多量に飲み続けていると、急激に血糖値が上がる「ペットボトル症候群」に陥る危険性がある。

糖分でさらに深刻なのは、「抜け出せない症候群」に陥る危険性があることかもしれない。『フードトラップ~食品委仕掛けられた至福の罠』(マイケル・モス著 日経BP社)によると、米国のある食品メーカーは、清涼飲料水に使う砂糖の量を30パターン程度に分け、子どもの脳の快楽中枢がどの量で反応するかを調べて製品化していたという。そうすると、子どもたちは(大人もそうらしい)その飲料から抜け出せなくなり、ヘビーユーザーに育っていくというのである。同著は砂糖の他、加工食品の原材料として使われる一般食品添加物の塩、脂についても、使用量を増やしていく食品メーカーの企業戦略と、それにともなう健康上の問題点を明らかにしている。

「竹井塾」の連載では、現職の小学校教諭や栄養教諭らにインタビューした。そこから垣間見える食卓の風景はたとえば、朝食はマヨネーズをかけた卵かけご飯、学校から帰ったら山盛りのポテトチップス、夜食はカップラーメンとコーラ、等々。これらは極端なケースだと信じたいが、卵かけご飯を除き、それらの共通項は塩、砂糖、脂。また、子どもたちが好む学校給食は「ケチャップ味やシチューなど味の濃い洋食系」というように、ここにも、砂糖、塩、脂が登場することに気付かされる。これらが脳を刺激し「また食べたい」ということになり、濃い味に慣らせれていく。

「濃い味」へのシフトは今に始まったことではなく、食の工業化が顕著になった30年以上前から指摘されてきた。ファストフードはもちろんのこと、近年はさらにその傾向が強まり、スーパーやコンビニでも「濃い味」を強調した加工食品が目立つようになってきた。濃くなければ食品に非ず!と言わんばかりなのである。

こうした食生活と味覚の変化にともない、見過ごされようとしているのが「淡味たんみ」。連載に登場した長光寺(禅宗)の柿沼忍昭さんによれば、「淡味」は道元禅師の著した『典座経典』に苦味、酸味、塩味、甘味、うま味の五味の他、六味として加えられている。柿沼さんはこの味を“薄味”と同義とせずに、食材そのものが持っている味を引出し、それを十分に味わうことと解釈。そして、「味をつけようとするあまり、醤油や砂糖などの調味料を使いすぎることがあり、そうすると食材そのものの味が殺されてしまう」と指摘している。

そのうえで、「淡味」を料理としていかに表現するか、それを考えるのが精進料理をつくるうえでの真骨頂だが、このことは家庭の料理にも通じること。味の濃いものは記憶に残りやすく、それをもっと食べたい、また食べたいという執着を生む。そうさせないのが「淡味」の持ち味といえる―と結論づけている。

濃い味へのアンチテーゼとも思える「淡味」はまた、日々の食生活から忘れ去られようとしている「滋味」に通底する。
現在、ほとんど使われることはないこの「滋味」という言葉は、辞書的には「栄養豊富でうまい味」の他、「持ち味がにじみ出ることによって感じるおいしさ」(※淡味と相似)や、「ゆっくり味わうことで醸し出される味や雰囲気」、さらには「豊かで深い精神的な味わい」をも意味している。適当な英訳がないことを考えると、「うま味」と同じように日本の食文化を支え、表現できる言葉の一つといえる。

「淡味」と「滋味」。世界的にも稀に見る食生活の変貌を遂げた日本(人)が、それを見つめ直す起点として、この二つを見定めたいものである。