第93回 「竹井塾」を振り返って⑦
内田 正幸(食品ジャーナリスト)
「よい食事」と「美しい食べ方」(後編)
「竹井塾」第92回のまとめで、「よい食事」の内実を、NPO法人日本フィリピンボランティア協会顧問・八木眞澄さんの発言を借りて次のように紹介した。
私は栄養士としての長い経験の中で、途中から「人間はどう食べているか」に関心が向かいました。他の多くの動物と違い、人間は一人一人が弱いので群れをつくらなければならない宿命を負っています。だから食べ物を分け合わなければなりません。で、分け合う人たちは仲間となるのです。それに気づくと冠婚葬祭に食べ物が付き物なのはそのためであることが分かり、と同時に、それは相手のことを思いながら分け合うという、道徳の根なのではないかとも考えるようになりました
「人間はどう食べているか」との問いは、「美しい食べ方」にも通じている。
食事はあらゆることが整わないと成立しない。食べ物をつくる人だけではなく、運ぶ人、調理する人、さらには食器・道具をつくる人など人間関係の賜物であり、どれか一つが欠けても食事をすることはできない。最近のCMを援用すれば「食事は誰かの仕事で成り立っている」のである。それに気が付けば、自ずと感謝の念が湧いてくるし、食事への向き合いかたが正され、「スマホ食い」はできないのではないか。
自分勝手な食事作法をすれば、他人に不快感を与えたりすることもある。「美しい食べ方」にこだわることは、食べ物に対する感謝の気持ちを、そこに表現できるはずだ。
また近年、献立だけがクローズアップされている和食だが、箸と碗を使い、主食と汁物などを交互に手に持って食べる「食べ方」に特長がある。そして箸の文化もその一つだ。持ち方だけではなく、“迷い箸”、“移り箸”、“直箸”や“箸渡し”をしないなど、使い方を含めて豊かな箸文化をつくってきた。
ところが食の洋風化とともにこれが風化しつつある。その原因とされ、「箸の使い方を知らない子どもが増えた」と指摘されたのが学校給食に使われた先割れスプーンだった。この先割れスプーンの影響なのか、どうしても姿勢が悪くなり、「美しい食べ方」で食べられなくなったようだ。
箸と碗を使う料理は中国や韓国など他にもあるが、韓国では碗などの食器を手に持って食べる習慣がない。ご飯や汁物を盛る食器は食膳に置いたままにし、手に取ってはならないのが作法であり、箸でご飯を食べない。食文化も相対的なものだから優劣をつける必要はまったくない。
日本の食事は「箸を使って碗を手にしながら食べる」のが作法であり、「スマホ食い」では無理なのである。また、“片づけ食い”などのような好きなものだけを先に食べてしまうのではなく、ご飯、汁物、おかずと順序良く食べることができるのも和食である。
こうした食事作法は相手を不快にさせず、気持ちよく食事をするための所作であり、「よい食事」と「美しい食べ方」は不可分なのである。